開成鎮守府(艦船模型班)② 泊地

軍艦があれば、やはりそれが泊まれる場所も必要です。

泊地とは「港湾において船舶が航路から出入り・停泊できる水面」を指しますが、ここでは港湾全体と捉えていただければと思います。

さて、前置きはここらにして、さっそく泊地の様子を見ていきましょう。

「でも、巡洋艦とか駆逐艦とか言われても全然わからない......」という人もいらっしゃるでしょう。そんな方は、この「泊地」ジオラマで、それぞれの艦種の大まかな艦形や大きさだけでも覚えていってください。

以下、泊地に入っている艦艇を一気に紹介します。

(「※」の付いている艦艇は当日泊地入りが交代制になっており、泊地では見られない可能性があります。)

戦艦長門
長門型戦艦1番艦、同型のネームシップ。41cm連装砲4基を主砲とし、1930年代には世界で最も有力な戦艦「ビッグ7」の一隻として日本人の誇りであった。
その圧倒的な火力と裏腹に(あるいはそれゆえに)、WW2では温存され続け、本土から出撃することはほとんどなかった。

駆逐艦吹雪
吹雪型(特型)駆逐艦1番艦、同型のネームシップ。12.7cm連装砲3基に61cm三連装魚雷3基という、当時としては非常に大型で高火力を誇った。同型姉妹艦の深雪・初雪・白雪と共に第11駆逐隊を組んだ。

駆逐艦初雪
吹雪型(特型)駆逐艦3番艦。第四艦隊事件において艦首を切断する損傷を受けた。

駆逐艦初春
初春型駆逐艦1番艦、同型のネームシップ。同型は吹雪型の火力をより小さい船体に収めることを目的に設計されたが、建造後、復元性や強度に問題があることが判明した。

駆逐艦子日
初春型2番艦。艦体の問題を解決するべく度重なる改装を行なったが、速力低下を招くなどし、改善したかは明確でない。

軽巡洋艦天龍
天龍型1番艦、同型のネームシップ。日本で最初の軽巡洋艦級で、駆逐艦を大きくしたような設計で作られたため、雷撃に長があるといえる。
旧式の艦艇であるにもかかわらず、WW2では水雷戦隊や輸送作戦の旗艦として運用された。

軽巡洋艦龍田
天龍型軽巡洋艦2番艦。開戦前には8cm高角砲や13mm機銃の設置をし防空能力を上げたが、所詮は旧式艦艇。最新の軽巡級にはおよばなかった。
天龍型2番艦。WW2に備え8cm単装高角砲や機銃が装備されたが、防空能力は高かったとはいえない。

重巡洋艦古鷹(※)
古鷹型重巡洋艦1番艦、同型のネームシップ。世界初の重巡洋艦とされるが、当時の日本としては「強力な砲を装備しただけの巡洋艦」であり、艦種というのはあくまで後の条約で定められた定義に過ぎない。
しかし20cm主砲とそれまでの軽巡とは明らかに異なる船体設計は、艦艇開発に新しい風を吹かせたといえる。

重巡洋艦熊野(※)
最上型重巡洋艦4番艦。同型は上で紹介した「重巡洋艦規定」を避けるために開戦時まで15.5cm砲を主砲としていた。

航空巡洋艦最上(※)
最上型重巡洋艦1番艦。同型艦のネームシップ。ミッドウェー海戦において正規空母4隻を喪失したことを受け、同海戦後後部の4,5番砲塔を撤去し航空甲板を設置して航空巡洋艦となった。
最期は「西村艦隊」(コラム:「扶桑型戦艦」にて詳説)に参加しレイテ突入を目指すも、米艦隊の夜間レーダー射撃の前に大破炎上、沈没した。

重巡洋艦三隈(※)
最上型重巡洋艦3番艦。ミッドウェー海戦撤退時、姉妹艦最上を庇う形で沈没。日本重巡洋艦では最初の沈没となった。

給油艦速吸
給油艦とは、読んで字の如く、艦隊において燃料を輸送し、他の艦艇に燃料を補給する艦艇である。この艦に至っては命名までとても安直な気がする(個人の感想です)。

通常の輸送艦の構造は、燃料タンクと、自衛用の最低限の兵装であるが、この速吸は水上機を運用できる航空甲板を搭載している珍しい給油艦である。
対潜警戒の必要性が高まったことから航空甲板を搭載したが、特にこれといって戦果があったわけではない。

少し寸胴な船体で、意外と重い(基準排水量18300トン、先程の重巡洋艦よりかなり大きい)という愛嬌のある艦艇である。

海防艦鵜来(うくる)(同型2隻)
海防艦とは、沿岸防御用の艦船の総称であり、大型のものも小型のものも定義上は海防艦といえる。
WW2期の日本においては、小型(1000トン未満)で対潜水艦能力を備えた海上護衛用艦艇を「海防艦」とした。
鵜来型海防艦は日本の海防艦の完成形といえる艦で、徹底的に工数を抑え、かつ高い対潜能力を備えていた。

平島型敷設艇(同型2隻)
敷設艇とは、機雷(触れると爆発し、敵に被害を与えることができる)を設置する艦艇である。要港の防衛のための敷設が主な任務であるため、本来その他の機能は必要ないが、この型には対潜兵装も搭載され、今までより大型かつ多機能的な艦艇となり、船団輸送などにも参加した。

第19号型掃海艇(同型2隻)
掃海艇とは、機雷の撤去に従事する艦艇である。WW2期のこの型は、機雷撤去機能はそのまま、対空も意識した設計となっており、船団輸送などにも従事したが、損耗率は高かったという。


最後に、泊地ジオラマ本体について少しだけ解説を加えます。
こちらのジオラマ、モチーフとなった軍港(泊地)があって、日本軍トラック諸島基地の「夏島」南岸に実際に存在した港です。
軍港の全景写真というのは通常軍事機密であり、また一度占領した軍港施設というのは戦時には破壊してしまう(奪還されても使えないように)ため、なかなか無いのです。
しかし、このトラック島およびその基地は米軍によってかなり鮮明に撮影されており(米軍はトラック島空襲を行っており、その前後にはかなり入念に偵察をした)、その画像から当時の様子が想像できます。
↑空襲前に撮影された写真。南岸(下側)の方に明らかに人工的に造られた桟橋のようなものが確認できる。
また陸地にある丸い構造物は燃料タンクと思われる。
↑トラック島空襲直後(最中?)の写真。各施設が炎上し煙が立ち上っている。
奥の湾、右側の桟橋、陸地側のタンクの位置などから、先程の空襲前偵察で見えた南岸の位置が撮影されていることがわかった。

さらに、この同じ場所を現在の衛星写真で見ると......
なんと現在も、その大きな桟橋の跡が2つ、くっきりと残っていました。
250mはあろうかという大きな桟橋です。恐らく、その大きさゆえに取り壊すことができなかった、或いはしなかったのでしょう。


ジオラマはこの港をモチーフに、少し小艦艇の桟橋を盛って完成させました。

ちなみにイチオシポイントは海の色です。トラック島は珊瑚礁地形の島で、周囲は美しい環礁となっています。
そんな海底を描くことができたおかげで、見ているだけで空気が澄んで潮の香りがするような作品に仕上がったと思います。

次のページではついに軍港を離れ艦隊行動をモチーフとした展示となります。艦艇説明は今回よりやや簡略化しますが、圧巻の並びを見られる展示となっています。

ぜひお楽しみに。

開成模型製作所

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