開成鎮守府(艦船模型班)③ 空母打撃群

WW2、特に日本の戦った太平洋戦争は、軍事史において、戦術において大きな転換があった戦争と言えるでしょう。

それこそが、日本の使った「空母打撃群」戦法です。これにより、戦術的空間が空中に移り、海上の戦闘においても航空機の重要性が認識されることになりました。

とはいっても、航空機の威力を各列強が知らなかったわけではなく、どの国もある程度航空開発には注力していたのです。そんな中、日本が編成した空母打撃群は、「機動力」を強みに快進撃したのです。

そもそも、当時の空母は向かい風も利用して航空機を離陸させる仕様であったため、空母はほとんど全速で前進しながら航空機を離陸させていました。
その上で速力が高いとより重い航空機も発艦させられるようになるため、元来空母は巡洋艦並みに機動力に長けた艦艇です。

そこで、問題はこの空母にどのような護衛艦艇をつけるか、となります。(空母は砲戦能力には長けておらず、砲戦距離での接敵は致命的となります)
戦艦を付ければ、砲戦力・索敵力ともに非常に上がります。実際アメリカやイギリスはそのようにして空母を運用しました。
しかしこの護衛の問題は、「戦艦の巡航速度に合わせなければならない」という点にあります。一般的に戦艦は高い砲戦能力と防御力と引き換えに、速力においては他の艦艇に譲るのです。
特に日本では戦艦の燃費があまり良くなかったので、戦艦を連れて行くのは進撃を遅らせるというデメリットがあります。

そこで日本のとった策が、「空母の護衛は重・軽巡洋艦・高速戦艦(金剛型戦艦)と駆逐隊によって行う」という考え方で、空母の護衛を多少割り切っても機動性を高めようというモノだったのです。

この空母打撃群といえば、真珠湾攻撃で活躍した南雲機動部隊、またはその中核の第一航空戦隊(一航戦、赤城・加賀)が有名で、ご存知の方も多いことでしょう。

しかし、我々が忘れてはならないのは、偉大な開成中学OB、山口多聞の率いた第二航空戦隊、蒼龍・飛龍です。(山口多聞のエピソードはコラムなどで追加するかもしれません)

一航戦所属の大空母2隻を戦艦からの改装で紆余曲折の模索を繰り返した大器晩成の空母とすれば、二航戦は当時のすべての知見を盛り込んだ最新鋭の本格エリート空母です。丁度あの秀才・山口多聞のように......。

それはともかく、空母の護衛の方も見ていきましょう。

日本は空母護衛に「輪形陣(リング・フォーメーション)」と呼ばれる陣形を用いました。(もっとも、これは米艦隊も同様でした。)
その名の通り、旗艦或いは主力艦艇を中央に配置し、同心円上にそれを囲うように護衛艦艇を配置する陣形です。

この陣形の利点は、
①全方位への警戒ができること
②対潜警戒に適すること
③中央に濃密な対空弾幕を貼れること(中央の艦艇を守りやすいこと)
が挙げられます。

「開成鎮守府」では残念ながら史実再現まで艦艇を揃えることが適わず、編成は空想です(実は護衛艦艇の時代も若干おかしかったりする)のですが、ご了承ください。

それでは前回より軽めに艦艇紹介をしていきたいと思います。






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