開成鎮守府(艦船模型班)④ 天一号作戦
さて、「開成鎮守府」①〜③を既にご覧の皆様なら、まだ「あの艦」が登場していないことにお気づきでしょう。
軍艦など何も知らない人でも、必ず知っているであろうあの艦。
史上最大の戦闘艦艇、大和型戦艦。
なぜ大和を最初に出さなかったのかと思う人もいらっしゃるでしょう。
それは、この不沈艦の圧倒的な大きさを実感して頂きたいと思ったからです。
ここまで、「ビッグ7」長門、偉大なる先達の艦、蒼龍などの大型艦を見てきましたが、大和はやはり別格です。
本章で紹介する展示は、そんな大和の最期の出撃をそのまま再現したものになります。
【以下、背景解説】
1945年の時点で海軍は沖縄および東シナ海域を防衛のための決戦の地としており、これらの方面で特攻攻撃を中心とした航空作戦を行なった。これを天号作戦という。
1945年3月には、沖縄諸島の攻略のため米英の主力艦隊が沖縄近海に集結し、4月1日に沖縄に上陸した。
この上陸中・直後の敵に航空機による特攻を仕掛けたのが「菊水作戦」で、空前の規模の特攻作戦が始まった。
これに呼応する形で4月6日大和も出撃し、軽巡矢矧率いる第二水雷戦隊の護衛のもと沖縄へ向かった。
この時の護衛陣は第三警戒航行序列と呼ばれ、矢作を先頭、大和を中央にして輪形陣が形成されていた。
大和の目的は沖縄沿岸で座礁し、乗組員を防衛兵力とし、残った艦は浮き砲台とするという「水上部隊の特攻」作戦であった。
しかしこの4月6日の出撃は完全に米軍の情報傍受と解析により見透かされており、その動きは上空からも監視されていた。一方の大和率いる第二艦隊に十分な数の直掩の戦闘機はついていなかった。
大隅半島を越えたところで、第二艦隊は3波、386機による波状攻撃を受けた。これらの航空隊は戦闘機であっても爆弾とロケット弾を装備し、ほとんど対大和だけを意識した編成だったと思われる。
この攻撃により、旗艦大和は沈没、護衛の水雷戦隊も後方の4隻以外沈没という壮絶な結末となった。
以下、参加艦艇。
戦艦 大和
大和型戦艦1番艦、同型のネームシップ。世界史上最大の戦闘艦艇であり、46cm主砲は他のどんな艦艇の装甲も用を為さないほどの威力を持ったはずである。
惜しむべくは日本海側の夢見た艦隊決戦が行われなかったことである。
軽巡洋艦 矢矧
阿賀野型軽巡洋艦の3番艦。阿賀野型は日本海軍の最新鋭の軽巡洋艦型で、申し分ない性能を誇ったが、量産は叶わず4隻しか建造されなかった。
矢矧は第二水雷戦隊の旗艦を務めたが、この水雷戦隊はその内容の充実から、「華の二水戦」と呼ばれることもある。
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